もしもし!もしもし、神楽か?・・・ああ、助かった、電話番号はこれで合ってたみてえだな、さすが俺の記憶力。そうそう、俺だよ、俺、優しいホストのお兄さんこと、銀ちゃんですよ。
いや、実は今すげえヤバいことになってんだ。久しぶりにな。レベルでいうと、まあ、八か九ぐらい。もしかしたら十かも。ちょっと待て待て、切るな切るな!頼むから!怒濤の着信攻撃の合間を縫ってお前にかけてんだから・・・それが金じゃねえんだ。金絡みでも薬絡みでも女絡みでもなくて、まあなんというか・・・男絡み?
いや待て待て待て、だから切るなって!これには深い事情があるんだって。取り敢えず、今からお前の店までタクシーで行くから、タクシー代だけ出してくんねえ?いや、後で返すって、ほんとほんと。それがなあ、財布がねえんだよ。今は携帯しか持ってねえんだ。何でって、俺が聞きてえよ。あのな、こんなことになったのは、そもそも俺が退院したときに誰も病院まで迎えに来てくれなかったからだよ。ほら、二ヶ月ぐらい前に交通事故に遭っただろ?これがまたすごい事故だったんだ、骨がバキバキに折れちまってさあ・・・誰がって俺がだよ!俺が事故に遭ったの!おいおい、お前がそんな薄情者だから、いつまで経っても店がぱっとしねえんだ・・・いや悪い悪い、云い過ぎたわ、ごめんなさいご めんなさい。
・・・とにかくな、俺は事故で右手と左足を骨折しちまったわけ。そんで、まだギプスが取れてない状態のままで、もう退院だって医者から放り出されてよ。呆然としてたんだよ。車椅子で。一人で。病院の入り口のとこでな。携帯は車に轢かれちまったから誰とも連絡とれねえし。金は相変わらず無えし。この惨めさが分かるか?涙目だよ、いい年した大人が。もう半泣き。おい、笑い事じゃねえから。どんなに立派な人間でもなあ、怪我したら心細くなるもんなんだ・・・はいはい、それでな、そんな駄目人間代表の俺に、声をかけてきた奴がいるんだよ。
男だよ、男。詐欺師じゃねえっての、高校の時の同級生。そう、すげえ偶然だろ。でも会うのは十年ぶりぐらいだから、一瞬誰か分からなかった。そんなに仲良かった記憶もねえし。ああ、だけど、高校のときからすげえイケメンで、めちゃくちゃモテてたことは覚えてる。あ?いや、あいつ真面目っぽいし、ホストなんて水商売は向いてねえよ。そもそも嫌いなんじゃねえかな。今は何か、アイティーベンチャーキギョウってやつの副社長らしいぜ。小さい会社みてえだけど。
まあともかく、そいつは知り合いの見舞いに来た帰りだったらしくてさ。ああ、ちょろっと世間話したんだよ。俺の骨折話と、独り身だって話と、金が無えって話を、少しだけ盛ってな。それをあいつ、すげえ同情してくれてさあ・・・そうそう、正直ちょろいと思ったね、そん時は。あいつの顔に、俺は好いカモです、って書いてあるようなもんだったからね。
んで、俺はそいつにお持ち帰りされたわけ。いや、そういう意味じゃなくて。面倒見てくれることになったっつうわけ。ギプスが外れるまでな。なあ、いい話だと思うだろ?俺も天国だと思った。そこそこ豪華なマンションに住めるし、飯は自動で出てくるし、日がな一日ぼけっとテレビ見てりゃいいし、食う時も着替える時も風呂入る時もあいつが手伝ってくれるし、必要な時は金くれたし、携帯だってそいつの金でやっとスマフォデビューできたし。すげえ甲斐甲斐しかったぜ、あいつ。もう一生このまま何もしないで暮らしてえって思ってたな・・・最初の二週間ぐらいまでは。
何があったのかって・・・しばらくそんなどこぞの王様みたいな生活してたら、俺の仕事の話になったんだよ。こんなに仕事休んでて大丈夫なのかって聞かれて。それで正直に云ったんだ、ホスト崩れっつうか、水商売してましたって。骨が治ったらまた始めるつもりだってことも。そしたら土方の奴、あ、そいつ土方って名前なんだけどな、すげえ怖い顔になりやがんの。瞳孔ががっと開いて、目尻なんかぎりって吊り上がって。般若みたいな面ってのは、ああいうのを云うのかねえ。
それからあの野郎、俺の折れてない方の手と足をベッドに縛り付けやがって、それからは携帯にも触らせてくれねえし、テレビも見せてくれねえし、外にも出れなくなった。相変わらず風呂には入れてくれるし飯も食わせてくれたけどな。あ?だから逃げられねえんだって、折れてるし縛られてるしで。一回訴えた事はあんだよ、外に出てえとか、人を監禁しやがって犯罪者、とか、このホモ野郎、とか。ん?そりゃタコ殴りだよ。酷くねえか、あの男。こっちは怪我人だぞ。何もあんなに殴らなくてもいいだろうが。折角治りかけてた右手にまたヒビが入っちまったぐらいだよ。それでもう心も折れたね。何でこんなイカレタ男に世話になっちまったんだって後悔しまくった。こんなに頭おかしい奴だったな んて知らなかったし、知ってたらのこのこ付いてなんていかなかった。
そんでよお、俺はその日からもう一切喋らなくなったね。あ?そんなもん、怖いからに決まってんだろうが。へたれとでも何とでも云え。こちとら本当に、真剣に殺されると思ってたんだからな。いや、マジで。
でもな、意味が分からないのは、あの野郎、俺が喋らなくなったら喋らなくなったで、機嫌悪くなんだよ。ギプスの包帯を交換するときはやけに楽しそうだったけど。それがまた、怪我の状況を確認するみたいで嫌な感じなんだ。あいつは骨の治りが遅い、治りが遅い、ってよく云ってたけど、それを嬉しそうに云うもんだから。あれ思い出しちまった。なんだっけ、映画の、そうだ、ミザリーだよ、ミザリー。
んで、そんな状態が一週間ぐらい続いたときに、さすがの銀さんもそろそろこの状況を何とかしようと思い立ったわけですよ。土方の視線とか、身体に触る感じとかが、段々ねちっこくなってきて。
自意識過剰?そうかもな。だけど嫌でも貞操の危機って言葉が思い浮かんでくんだよ。特に何されたってわけでもねえけど。
とにかく、その頃にはもう折れてた左足は動かせるようになってたんだ。土方には秘密にしてたけどな。完治してることが分かったら、もしかしたら折られるんじゃねえかと思って。冗談で云ってんじゃねえぞ、それぐらいあいつの目はおかしかったんだよ。それで、土方が仕事でいない日なんかにこっそり筋トレして・・・そうそう、ベッドの上で曲げたり伸ばしたりして、取りあえず歩けるぐらいにはしたんだ。俺にしちゃ賢いだろ、必死だったからな。んで、右手が動かせるようになったぐらいにやっと脱獄開始だ。右手のギプスを取って、その手で手足を縛ってた縄を解いて、左足のギプスも取って、携帯取って・・・金も盗ってこようと思ったんだけど、どこにあるか分からなくて、結局一文無しの まま泣く泣く逃げ出してきたんだよ。それで今こうやってお前のとこに電話してるわけだ。
長くなっちまったけど、そういうわけで、これからタクシー乗ってそっち行くからな。休んでた二ヶ月分の働きはするって。もうこりごりだ、他人の世話になるのは。あいつ、なんだって俺にあんなに執着してたのかねえ。高校のときはそんなに仲が良いってわけでもなかったのになあ。
ん?今は駅の近くだ。タクシー乗り場に向かってる。え、携帯?云ったろ、スマフォ買ったって。そうそう、あいつの金で。使い方もまだよく分かんねえけど。知らねえよ、店に行って買ってくれたのも、何かいろいろ設定してくれたのも土方だし。その内解約するけどな・・・え、ジーピーエス?何だ、それ。聞いた事あるような気はするけど、ATMみたいなもんだっけか・・・は?何で俺のいる場所があいつに分かんだよ、超能力か?・・・携帯で?いや、俺知らねえし、そんな機能なんて・・・
「マジかよ・・・」
俺はタクシー乗り場の方から早足でやってくる土方の姿に絶望した。嘘だろう。どうして此処にいると分かったんだ。超能力か。それとも、神楽の云っていたジーピーエスとやらのせいか。思わず助けを求めようと携帯を見るも、すでに通話は切られてしまっていた。どうやら面倒臭いことになりそうだと、あの女は動物的な勘で察知しやがったのだろう。
「坂田!」
俺は咄嗟に、こちらに向かってくる土方の手に、何か物騒なものが握られていないかを確認してしまう。鋭利な刃物だとか、小型の拳銃だとか、バールのようなものだとか。俺は立ち止まって、遠目からじとりと相手を観察する。
思い出すのはミザリーの笑顔。だが幸運なことに、土方はどうやら手ぶらであるようだった。着の身着のまま家を飛び出てきたような、ラフな格好をしている。けれど、それでもまだ安心はできない。怖すぎて足が震える。折角上手く切り抜けたと思ったのに。
「坂田!」
土方が再び叫ぶように俺の名を呼び、足早に駆け寄ってくる。
恐怖が募ると、人間は思考が停止するのだという事がよく分かった。俺は直立不動のままでいることしかできず、足はまるでプラスチックになったかのように硬直してしまっていた。
そして近づいてきた土方は、そんな俺の肩をぐっと掴み、そして、
「莫迦か!何勝手にいなくなってんだ!」
抱きしめられた。駅の真ん中で。タクシー乗り場の真ん前で。風が吹く。すぐ傍をチャリに乗った小学生がさあっと駆け抜けていった。乗り場に並んでいるタクシーの運ちゃんが、ぎょっとしたようにこちらを見ている。
「お前、何でこんな所にいるんだ。いつ足治ったんだ。右手のギプスはいつ取ったんだ」
「いや、土方君、く、苦しい・・・」
だが、土方はぎゅうぎゅうと締め付けてくる腕を緩めようとはしなかった。呼吸ができない。絞め殺される。咄嗟に、右手を庇うようにして痛いと叫んでみる。すると土方ははっとしたように身体を放してから、俺を近くのベンチまで引っ張っていった。そうして上着のポケットから包帯を取り出すと、問答無用で俺の右腕にぐるぐるとそれを巻き始める。
「莫迦か、まだ完全には治ってねえんだろう。外に出てえんだったら、ちゃんとそう云え」
「そう云ったら殴ってきただろうが」
思わず反論すると、土方はがばりと音がしそうな勢いで顔をあげた。俺はぐっと息を呑む。だが、その顔に子供が泣き出す直前のような表情を浮かべていたので、再び息を吐く。
「もう殴らない」
瞬きをする。
「もう殴らねえし、縛らねえし、お前が外出したいときはさせてやる」
「・・・いや、それ人として当たり前のことだよね」
「他に嫌なことがあったら云え」
何だ何だ、どうしたというのだ、このイカレポンチは。急にしおらしくなりやがって。何か裏でもあるのだろうか。
睨むように整ったその顔を眺めると、土方は俯いて再び包帯を巻き始めた。ギプスはもう取れているというのに。包帯を丁寧に巻くその手が震えている。泣いているのかもしれない。泣いている女の扱いには慣れているが、残念ながら、泣いているいかれポンチの扱い方は全く分からない。
「い、いやあ、何かお前に世話になってばっかりだったからさ。ほら、骨折も治ったし、もう一人でも暮らせると思ってな。急にいなくなって悪かったよ、この礼は後で必ずするわ」
だらだらと妙な汗を背中にかきながら適当なことを喋っても、土方は聞いているのかいないのか、包帯を巻く手を休めようとはしなかった。
「おーい、土方くん、聞いてる?」
そして、包帯を巻き終えた後も、俺の手を放さない。
「おいおい、お前、どうしちゃったわけ」
俺の言葉に土方は無言である。放れない手だけが答えである。だがその執着が分からない。その意味が。その理由が。
「心配してたんだ」
ぐす、としばらくしてから土方は鼻をすすった。答えになっていない答え。生憎だが、こちとらそれでほだされてやるほどのお人好しではない。
「心配?」
こいつに心配される覚えはない、幸運なことに。自然と眉根に皺が寄っていくのが、鏡を見なくとも分かった。
そうして、どうやったらこの不思議な修羅場を切り抜けられるのかと視線を落とした所で、ふと、土方が黒い靴下のままであることに気がついた。その異常さにぎょっとする。恐怖のあまり今の今まで気がつかなかったが、靴を履いていないのだ、この男は。
「心配してたんだ、高校のときからずっと。お前のことが」
土方は何やら必死の形相で話をしているが、そんなもんは右から左へ素通りである。
頭の中を駆け巡るのは、上着からすぐに出てくる包帯のこと。俺の携帯に残る数百回の着信履歴のこと。靴下のまま家を飛び出してきたのだろうこと。マンションで過ごした数週間のこと。
その執着が分からない。その意味が。その理由が。けれど。それでも。
ほんの少しでも、その光景が愛おしい、と思ってしまった俺は莫迦だ。阿呆だ。間抜けだ。どうかしている。もしかしたら、狂気は伝染するのかもしれない。
「・・・お前、俺をどうしたいのよ」
ほら、云ってごらん。優しいホストのお兄さんが聞いてあげるから。だが目の前のイカレポンチは、うじうじと包帯を弄ったままである。
「返答によっては、ほだされてやらん、こともない」
優しいホストのお兄さんは、そう云って背中を押してあげました。すると、隣に座るうじうじイカレポンチは、やっと顔を上げたのです。
「いや、俺は、別に・・・ただ、」
傍に、いて、ほしい、と。
まるで、とても大切な秘密を伝えようとするかのように。密やかに。しめやかに。イカレポンチはそう云ったのです。
冷静に考えて、その返答は、満点にはほど遠い。けれども、優しいホストのお兄さんは決めたのです。
ほだされてやらん、こともない。
あまい毒なら飲み干してあげる
神楽、どうやら右腕の包帯が取れるのは、まだまだ先になりそうだ。
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