世界は美しかった
腕や足、この身体の至るところにぐるぐるに巻かれた包帯にため息が漏れる。
包帯を巻かずとも、肌は傷だらけだ。
銃創に火傷に、数え出したらきりがない程に。
それはまあ桂や高杉にも辰馬も、この戦に身を置く大半以上が漏れなくそうであるから、気には留めていない。
銀時の場合は戦の前からそうであったのだけど、ここで語る事でもないので割愛する。
怪我は戦には付き物なのだ仕方ない、とさり気に話の軸をずらしつつもため息は止まらない。
そう、怪我自体はどうという事はないのだ。
ただ治りかけの皮膚が引きつるあの感覚だけはいただけないのだ。
その身体に鞭打って明日も明後日も戦だというのだから傷が治らないのだ。
また嘆息を零し、膝を一つ打って立ち上がった。
怒られては堪らないと着物をきっちり着込んで歩き出す。
その下に幾重にも巻かれた生成り色の包帯が、じわりじわりと他ならぬ自分自身の血で濡れていくのを感じながら、立ち止まり寝ているつもりはさらさらなかった。
引き留められても、それを振り払った事だろう。
ただ、誰かが言っていた。
どこへ行くの?というその問いからは逃れられそうもなかった。
──ねぇ、どこへ行くの?
──さぁ。どこだろうな。教えて欲しいよ。
それは身体の話ではなくて魂(心)の話だった。
まるで似合わないが、迷子になってしまった幼子の様な途方に暮れた言葉だけが銀時の中には残っていた。
懐古すべき、と言う程昔でもないが、包帯にまるで水に溶かされた絵の具が広がって行くかの如く赤が広まる様は過去に嫌と言うくらい見慣れた光景だった。
生成り色から真白といっていいのではないかと思う色に変わり、恐らくは繊維からして変わってるだろう包帯がぐるぐるの腹は、これが己のものでなければ他人事にばっさり切り捨てて踵を返すものだが、如何せん現実とは厳しい。
麻痺していた痛覚が復活したのをまざまざと体感しながら呻く。
「あー……いってぇ」
痛みに無意識に反応して獣染みた音を鳴らす喉をそうして誤魔化して何とか寝返りを打った。
寝かされた布団の両脇に新八と神楽、定春。
だがここは万事屋ではなかった。
病院でもなかった。
しかし見覚えがない訳ではなく、むしろ厄介な相手のところに運んでくれたものだと、命の恩人であろう子供達に愚痴りたくなった。
「何で寄りによってヅラ…?」
「おいなんだ、命の恩人様に向かってそれは」
「うっせーボケ」
替えの包帯と救急箱を手に、普段は絶対しないはずなのだが、桂は行儀悪くも足で襖を開けて銀時の枕元の斜め上に座った。
桂は昔から仲間内では一番医療の腕が良かった。
理由は良く知らない。
生家が医家だったからかもしれないし、知らないうちに独学で学んでいたのかもしれないし、戦という環境がそうさせたのかもしれない。
そして極めつけに、世話焼きだ。
その世話焼きの性格が決して良い方向に転がらなくとも、である。
怪我人との喧嘩を仲裁しようとして、最終的には怪我をしていなかった方まで怪我をして床に臥せさせたのだからこれは折り紙付きと言っても良いかもしれない。
桂に怪我の具合を見せたくなかったのはそれもあるが、この阿呆は銀時や仲間が寝込む様な時は必ず辛気臭い話をし出すのだ。
もういい加減にしてくれ、と言うのが今では敵味方となった高杉との、恐らくは変化していない共通認識だ。
「……銀時」
そして案の定、沈黙が下りたとなればこれだ。
半ば自棄になって銀時はそばに置かれていた救急箱を引っ掴み、振り回した。
ぶん、と風切り音が鳴って、遠心力で威力が増した重たい木箱の角がちょうど桂の頭に直撃する。
「ぐはっ…!!ぎ、銀時、貴様…っ」
だが、悶えたいのはこちらだ、と歯を食い縛って頭を押さえる桂を据わった目で睨んだ。
何せ腹に穴が開いた状態で振り回したのだ。
傷が痛まないはずがない。
若干だが、傷口が開いたかもしれない。
痛みに歪む顔を、背ける事で桂からも眠っている子供達からも見えない様に隠す。
もうこうなったら開き切っても良いか、なんて思って、未だ悶える桂を尻目に、重たいくせに力の入らない身体で這って、縁側に面しているのだろう障子戸を開け放った。
さわり、と風が頬を掠めていく。
冷たい夜風だった。
もうしばらくすれば、吐く息は真っ白になるだろう、そんな時期の早朝の空は包帯に滲んだ血の様に端の方から赤くなっていく。
けれどそれは、血ではなく太陽の眩い灯りだ。
移動している銀時を戻そうとしたのか、桂が手を伸ばす。
「…夜明け、か」
だがその手は布団へ戻そうと動くでもなく、障子戸を閉めるでもなくぶらりと宙に浮いたまま。
見れば、桂も空を見上げていた。
小さな呟きにつられる様にして、一度は室内に移していた視線をもう一度空へと向けた。
朝焼けの色。
夜明けの訪れ。
「………嗚呼、そうだな」
美しい黎明の空に、異郷の船はない。
きっとこの一瞬だけで、すぐに飛び交い始めるのだろうけれど。
この一時だけだからこそこんなにも美しいのかもしれない。
どこへ行くの、と問われて、あの日答えられなかった。
だけど、何となく見付けた気がする。
出来るならば銀時はこの空の様な美しい世界に在りたかったのだ。
叶わないなど百も承知、夢物語と笑われても。
だってこの空は、あの人の様だったから。
なあ、そうだろうと誰へともなしに言って、銀時は布団の上で瞼を閉ざした。
さわり、とまた風が頬を掠めた。
今度は幾らか温かな、朝の風が。
何度も焦がれては、手を伸ばす
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