心、寄せる
知らない傷がまた一つ、
幾千と、増えては消え、
それはまるで君の心のようだね。
「それじゃ、私は仕事ですので。ちゃんと寝ていてくださいね」
「僕も出ます、寝てなきゃ治るものも治りませんからね?」
「パピーが来てるからターミナルいくネ!銀ちゃん一人で大丈夫アルか?」
一斉に三人が言う言葉に布団に寝そべる駄目な大人はひらひらと手を振るだけで応える。
三人が顔を見合わせ仕方ない、と眉を下げるのは同時ため息を漏らす。
廊下を歩いて足跡が遠ざかるのを聞けば男はろくに読んでもいなかったジャンプを枕元へと放り投げ、先刻傷ついたであろう右足をズボンをたくしあげて確認する。
鈍痛が止まない其れは荒く処置はしてあるものの放っておけば間違いなく致命傷になるものであったのだが、先刻去った三人にそんな弱った自分を見せてしまえば大事になるのは明白と、何も言わずに足を切ったのだ、と大まかに事の説明をした。
「くっそ、…ったく、人の世話なんか焼くもんじゃあねぇな。らしくねェ」
事の発端は今朝の依頼人である老人であった。
「孫娘に付きまとっている男を退治してほしい」
この依頼には正直乗り気ではなかった銀時である。
何せ色恋沙汰に他人が介入してはうまくいくものもうまくいかないもの。そこへきて鈍感な自分には向いていない。
しかし大枚をリビングテーブルに置かれては断りきれない家計の状況。
奥の襖から見守る二人と一匹の目線はGOサインを示していた。
二つ返事で了承した銀時は仕方なし重い腰を持ち上げ、依頼人の孫娘のもとへと足を向かわせた道中、曲者に出会う。
その曲者というのが孫娘に付きまとっていた攘夷志士を名乗るゴロツキであった、というのは先ほど知った話。
4,5人に囲まれた銀時は難なくその場を切り抜けて、孫娘の元へとたどり着いたと思った矢先、玄関先に待ち構えていた狂犬に足を噛まれたのだ。
「ヒロイン守ってナンボの主人公だろうがよ、なんで俺犬に噛まれて大怪我負ってんのォオオ…」
まったく自分の体たらくぶりに頭が痛い。
(いやでもこれ銀さん悪くないからね?あのジジイがあんな狂犬野放しにしとくのが悪いんだし?てかあの犬の紐意味あんの?軽く3mくらいあったんだけど…つかアレ?目の前霞んで…) 考えを口にしていたはずの銀時はいつの間にか布団に背中を預け、傷口からの発熱で気を失ってしまっていた。
ヒタ、と小さな足音で目が覚める、自分は気を失っていたのだろうかと薄目を開けて天井を確認する。
確かに足音がしたのに人影は、ない。
しかし人の気配はある、ということは、この家に自分以外の何者かが侵入しているということになる。
(…ったく、人が病んでる時に泥棒かい、…今日は何て日だよ…)
厄日であると嘆いていた直後、襖の向こうへと意識を集中させれば聞こえてきたのは聞きなれた声だった。
「すまんの、急じゃったき、」
「なんの、アンタの頼みじゃ断りきれんよ」
「あっはっはっは、今度またお姉ちゃんのいる店で奢らせてもらうぜよ!」
「ふふ、楽しみにしてるよ、…あ、そうそう、包帯だけはこまめに固定してあげてね?大腿は血がたまりやすいから化膿に気を付けてあげて。それじゃあまた」
「恩に着るぜよ、」
少しの熱で思考が回らなくなっていた銀時は声の主が誰かはすぐに分かったものの、其奴が何故ここにいるのかと、いつきたのかと考えるよりも先に自分が安堵している事実に驚き、そして苦笑いを零す。
いつだって、彼奴はそうだったではないか。
「…、いつ、帰ってきたんだよ?」
タン、とごく微量の音を立てて襖を閉める彼の気遣いに内心感謝しつつもそれを口に出すことができないのがこの男、派手なジャケットを翻しながら畳を歩いてくる男にはそんな銀時の内心まで見抜かれているだろう。
「おーターミナルでチャイナさんが海坊主さんと一緒におっての、まさかあの二人が親子とはしらなんだ!あっはっはっは!」
いつもの能天気な笑い声が響く室内は見慣れた自室ではないことを思い出す。布団の横に胡坐をかいて座る男は自分の質問には答えずに頭をぼりぼりと掻きつつ辺りを見渡す。
枕に縫い付けていた重い頭をゆっくり浮かせれば上体を起こした。
「…、お前、仕事は」
質問に答えないのもトンチンカンな答えを返すのもいつもの事と銀時は受け流す。それはきっと二人の時間が長い証拠であろう。
「ん、地球に用事あったき金時の顔ばちくと見て行こうか思ったら、の。」
語尾に含みを持たせた男の視線の先はズボンを上げたままにしていた銀時の太ももへと向かう。小さくため息を吐く銀時は先ほどの会話が医者と彼の会話であることを悟った、先ほどまで荒く巻かれ血がにじんでいた包帯が綺麗に巻きなおされている。
ザ、と音がした方へと視線を走らせれば坂本は上着を脱いでいた。いったい今度は何をするつもりなのか、訝しげな眼で見据える銀時に坂本は吹き出す。
「…ふ、や、病人相手にそんなことばあせんき安心してえいよ、」
「………は?なに、なんも言ってねぇし」
「おんしゃあ、すぐ顔に出るきわかるぜよ、身構えたろう」
「……黙れくそ毛玉」
「あはははは!相変わらず手厳しいのう!」
ひとしきり笑った後に坂本は身を乗り出す、先刻何もしない、といったばかりの男の手が大腿の包帯の上をなぞり銀時は眉間を寄せる。しかしその手はそっと触れるのではなく、まるで傷口をえぐるかのような触れ方でさすがに痛みを発生させる。
抗議のために開いた銀時の口は坂本の言葉で制される。
「…今度は、誰を護った…?」
一言、いつもの口調とは違う低めの声で問われればそれ以上の言葉は吐けなかった。
サングラス越しのこの瞳はいつもすべてを射抜くように銀時を見据える、
「…別に、犬に噛まれた、だけ、だし」
そして
「犬に噛まれそうになった誰かを護った、か、おんしらしい…」
捕える。
巻かれている包帯に僅か血が滲んでくるのを見ると坂本は包帯の結び目をほどき傷を露わにしてゆく。
そう、犬に噛まれそうになった家の使用人を庇っての負傷であったそれはズキズキと未だに痛みを訴える。
血止めの薬は塗布されていたのだが、未だに痛みは消えずに、包帯を取り去る彼の手は近くにあった盆へと伸ばされる。
「痛み止めちゃ、」
「痛く、ねぇ、し。」
「いこじ出さんと、飲みい。犬に噛まれて死ぬこともあるんぞ」
口元は、わらっている。が、サングラスに隠された眼はきっと笑っていまい、そんな口調であった。
ぐ、と二の句を呑んだ銀時は言われるままに差し出された薬と水を嚥下し、先ほど坂本が抉った傷口が血をにじませるのをぼんやり見る。そうすると、彼の心情がおのずと見えてくるのだ。
傷口を労わるような、優しい指先。仕方ないといった風貌で包帯を巻く彼の手つきに意外に器用だ、などと惚けたことを考えながらその様子を見やる。
この時の、この気持ちがきっと、"愛しさ"なのかもしれない。そして同じように指先から伝わる彼のその気持ちも好意がなければ出来ないことであろう。
「し、これでいけるじゃろ、」
先ほどよりも幾分か乱れている包帯の巻き方に小さく笑いながら彼の首巻へと手を伸ばしグイ、と己へと引き寄せる。痛み止めが効きはじめているのか和らいできた痛みに心の内で感謝を述べる。
「なん、ちや。ん?近いぜよー」
にゃはは、と眉を下げて情けなく笑う男の鼻頭に己の唇を付けてからすぐに手を放す。何が起きたかわからない坂本はその状態でしばし固まり、気付いたころには銀時はもう布団にくるまりすべてを拒絶していた。
それが照れからくるものなのはきっと坂本には御見通しであることも知りながらそんなことでしか感謝を表せない自分に若干のため息を飲み込む。
ふ、と布団の上からの温もりと重みにに意識が行く。
坂本は布団の上から包むように銀時を抱きこめていた。
「昔は、良かった。おんしが傷を負うてもわしはすぐに気が付けたしどがぁでこさえたかもすぐわかっちゅうから。今ははや、遠くにおるき、駆けつけられんし、どこでどんな怪我かもわからん」
「……、……」
坂本がそんなふうに自分を思ってくれていることは分かっていた、しかし、口にしたのは初めてである。
以前にもこんなことが起きたときは自分を護ることを覚えろと言われたのだ。
「おんしゃあ誰かを護るために日頃から傷ば負うん、わしゃあ見てられん、が。それを放っておけんがおんしが好きやき、しょうもないのう」
あははは、と笑う声が耳に届く。少しだけ布団から顔を出した銀時は赤くなった頬を隠すように目だけをそちらに向ける。
「……俺、病人なんですけど?出てくか……、寝てくか、どっちかにしてくんない?」
その言葉にふ、と口角をあげた坂本は今日のフライトに間に合わなければ置いてけぼりを喰らうなぁ、と口うるさい部下の顔を思い浮かべながら銀時の横に滑り込んで手を伸ばした。
君の心の傷は僕が消してあげるから
だから、二人の心は一緒がいいね。
病院にて