――痛くないの。
戦場から帰ってきた己を一目見た彼が呟いた。左目に巻かれた真新しい白に彼の指が伸びる。
ぴくりと小さく片方の眉を上げ、ぼうっと此方を見る少年に視線を投げた。
「痛くないの、高杉」
熱に浮かされた様な表情を浮かべ、畳に座り込んだ状態で包帯に触れようとする彼。其の雪の様に白い腕にも、真白な包帯が巻かれていて。包帯に滲む赤、戦場では必ず浴びる色が少年の銀糸の髪にも所々に飛び散って、鮮やかに存在を主張している。
「銀時、」
今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気を其の背から滲ませている銀色を屈んで抱き寄せた。彼の胸に耳を当てれば、どくり、力強く鼓動する心臓が其処に確かに存在している事を知らせてきて。其の事に安堵を覚えて彼の背に腕を回し、頬に優しく唇を落とす。
多くの生が失われていく戦場で、命を奪う刃を何度も振り下ろしていれば、心を正常に保つ事が段々と難しくなってくる。一人、また一人と狂っていく志士達が出てくる中で、彼等の先頭に立って戦っている白い夜叉(おに)――銀時も、其の心に狂気を宿してきたのだろうか。
(嗚呼、)
もう少し、もう少し気付くのが早ければ。この馬鹿は、自分を犠牲にしてまで皆を助けようと今迄以上に傷を負う事はなかっただろうか。
ぐ、と歯を食い縛り、腕の中で己を不安そうに見上げる銀色に視線を滑らせ、其の頭をくしゃりと撫でてやる。
「痛くねェよ。痛くねェから、」
手前の手当てをさせてくれ。
そう囁けば、こてりと首を傾げて「手当て?」と聞いてくる銀時。彼の着物の衿に手を掛けながら頷き、そっと脱がしてやる。
「……何。俺が欲しいの?」
戦終わったばっかだってのに、高杉は元気だね。
けらけらと笑いながら言葉を紡ぐ銀色は無視し、其の胴に巻かれた血が滲む白をしゅるりと解いていく。露わになった傷だらけの肌に眉根を寄せ、銀時の足元にあった救急箱を引き寄せて手際良く傷に手当てを施していき。
痛い痛いと喚き出した彼に、うるせェ、と声を投げれば渋々といった様子で黙り込んだ銀時は、唇を尖らせて腕に巻かれた包帯を弄り始めた。
(嗚呼もう、)
如何して大人しくじっとしていられないんだこの馬鹿は。
小さく舌打ちを零し、手早く彼の胴に新しい包帯を巻き終えると腕に巻かれた白を弄る手をべしりと叩いて。
「傷が悪化したら如何すんだ馬鹿野郎」
そう言って其処から手を離させるも、既に遅かった様で。
じわりと包帯に滲んだ赤に、己は舌打ちと共に盛大に溜め息を吐いた。
*
銀時がこうなってしまったのは何時からだっただろうか。己が率いる鬼兵隊と銀時が同じ場所で戦う事になったのが丁度三日前。薄暗い戦場で天人の命を屠る銀時の紅玉が、口元が、薄らと笑みを浮かべていて。無邪気に笑いながら血を浴びる彼に、ぞくりと背中に恐怖が這い上がり。
其の日は勝ち戦となったのだが――あの時見た彼の狂った姿が、目に焼き付いて離れなかった。
それからというもの、指揮官をしている桂に頼み込んで極力銀時と同じ場所で戦う様にしてはいるのだが、やはり可笑しい。殺戮を楽しんでいるというよりは、血に飢えた獣の様な――。
其処まで考えて、頭を振って思考を打ち消す。今は、目の前の敵に集中しなければ。そうして、斬って殺して生き延びるだけの時間は過ぎていったのだった。
*
しゅるしゅると小さな音を立てながら銀色の腕に包帯を巻いていく。ぼんやりと其の様を見つめている少年に苦笑を零しつつ、端を止めて「出来たぞ」と声を投げ。
片付けを終えてから未だにぼんやりとしている銀時の頭を叩いて立ち上がり、救急箱を棚へ仕舞うと彼の包帯が巻かれていない方の腕を掴んで引っ張り上げ、しっかりしろと喝を入れる様に背中を叩き。
「どうせ飯まだ食ってねェんだろ。おら行くぞ」
銀時の手を引き、足早に大広間へと向かう。放っておくと飯すら食べないので、こうして誰かが連れて来なければならない。以前は桂が引っ張って来ていたが、最近は専ら己の役割になっていた。
心中で溜め息を零しながら廊下を歩く。銀色の方はぶつくさと文句を零していたが、誰かと擦れ違う度に口を噤んで瞼を伏せていた。
(まだ慣れねェ、か)
白夜叉と呼ばれ恐れられている彼は、志士達の間ではあまりよく思われていないらしい。
(無理もねェが……)
銀色の髪に紅玉の瞳。其の人間離れした容姿に、一部の志士達には天人ではないかと疑われる程。そんな彼等は、己や桂、そして快援隊を率いる坂本辰馬が睨みを利かせて黙らせたのだが。
己と銀時が入った瞬間に騒がしかった大広間が静まり返った事に舌打ちを零し、近くに座って飯を食べていた桂に銀時の分の夕飯を貰う。
こんな場所では己も食べる気がしないので、自分の分も持って銀時の手を引き再び彼の部屋へと足早に戻り。
襖を開けて銀色を部屋の中に放り込み、自身も部屋に入って後ろ手に襖を閉めると貰った飯を銀色に投げ渡した。今日の夕飯は大きめの握り飯二つ。桂曰く、明日の為にと極力抑えてこの量らしい。少し足りない気もするが、唯でさえ食料は不足しているのだ。文句など言っていられない。
己の前に座って握り飯を黙々と食べている銀時に口元を緩め、自身も手の中の握り飯に食らい付く。
嫌でも視界に入る銀色の身体に巻かれた白。先程取り替えたので、其の純粋な色に赤は滲んできてはいない。己は彼に気付かれないように小さく息を吐き、握り飯と一緒に渡された水を喉へと流し込んで。
握り飯を二つとも平らげ、水も飲み干した幼馴染みが其の場にごろりと横になる。ふあ、と目尻に生理的な涙を滲ませながら欠伸を零しているところを見ると、そろそろ眠って疲れを取りたい時間なのだろう。
己が握り飯と水を全て口内に導く頃には、彼は静かに寝息を立てていた。
(随分と無防備に寝やがるんだな)
本日何回目になるかも分からない溜め息を吐き、押入れを開けて布団を引っ張り出して畳の上に敷くと、眠っている銀時の身体を抱き上げて布団の上に横たえてやる。掛布団を其の身体の上に掛けてやれば、己がすべき事は無くなって。
布団からはみ出ている真白な腕の、肌の上に巻かれたこれまた純粋なまでの白。夕飯を食べる前に己が巻いた其れの上には、明日にはまた疎らに赤が滲む事だろう。遠いようで近い未来を脳裏に描き、己はすいと瞼を伏せた。
――願わくば、戦場で血に狂う彼が、せめて夢の中では幸せでありますように。
銀時の唇にそっと触れるだけの接吻を落とし、彼を起こさぬ様に物音を立てずに襖を開いて。
夢の世界に旅立った眠れる夜叉のあどけない寝顔を一瞥してから、己はそっと唇を開いて言葉を紡いだ。
「おやすみ、銀時」
良い夢を。
薄氷
(それは、踏めば直ぐに砕け散ってしまいそうな、)
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